誰か人生を教えてください・・・


by maple_r

上ノ国

 よく、日本は無宗教国家だ、とか言われるのを聞くことがあるが、とんでもない、日本は三大宗教より古いという説もある神道という立派な宗教観に基づく国なのである。
 神道は、しんどうでも間違いでは無いのだが、正しくはしんとうと読み、伊弉諾尊と伊弉冉尊による日本国創造に端を発する日本神話をベースにした宗教観である。具体的な教義が無いために、宗教と認めない人もいるようだが、日本人の生活に密着しすぎているゆえの錯誤では無いか。
 
 神道とは、森羅万象に神が宿り、人間の生活はすべからく神の恩恵に寄るところであり、人は神への感謝、森羅万象への感謝を忘れるべからずという宗教観で、すでに日本人としては道徳と一体化しているとも言えよう。

 神道が素晴らしい宗教であることの一つに、他の宗教・神を一切否定しない点にある。キリストでもムハンマドでもブッダでも、神道の神と同列に扱うことはリジェクトされない。これは宗教観としては素晴らしく、日本人が世界の中でこれだけの経済力を得、逆に発言力が弱くなっているゆえんとも考えることが出来る。
 しかし、三大宗教のいずれもが他の宗教を否定する内容を孕んでいるのに対し、すべてを受け入れてしまうという事の、なんと大らかなことか。この辺りの観念は、日本人としては全く普通であることなのだが、他国の人間では一切理解しえない部分となる場合がある。おねがいマイメロディ第一部の最終回ひとつ前で、なすびの神様というわけのわからない神様が唐突に現れても、日本人ならなんのことは無いギャグとして笑えるのだが、他国の人からみれば、どうしてこれがギャグなのか全く解らないことだろう。

 さて、そんな神様を崇め奉る行事が、文字通りお祭りである。
 農耕民族である日本人は、収穫祭としての位置づけである秋祭りで、豊穣を神に感謝する。そして春には、豊穣祈願の春祭りを行う。
 夏は田植えを終えた慰労や、納涼等の人優先の祭りであったが、仏教の盂蘭盆という思想が介入してきたことにより、若干意味合いが変化してきた。

 ここ愛知県では、なぜか秋よりも春の祭りが多い。そして、その春祭りには山車が多く出てくる。一説には日本の山車の内、7割が愛知県にあるとも言われている。
 去年、ただ一回万博会場に入場した時、ちょうどイベントで県内の山車の集合という催しを行っていて、名古屋・犬山・豊田・半田等々から山車を運び入れて並べ、それはそれは壮観で荘厳な威容を示していた。
 これらの山車の中でも、最も有名なものは犬山であろう。台数も多く、大きく優美で、だしでは無くやまと呼ばれる。

 このような著名な地域だけでなく、町村レベルのところでも山車を使った祭りを催している。それほど、この辺りは山車が多いのだ。そしてこのような山車の文化を、今の愛知のものづくり文化の源流であると称したりする人もいる。

 そうやって、伝統を継承していくことは素晴らしいことである。ある程度以上の都市では人の入れ替わりが激しすぎて、文化の継承なんて出来なくなってしまう。こんな点においても、愛知県は都市度の割に人の流入出が少ないことの意義が見いだせる。
 
 しかし必ずしも歓迎することばかりでは無かったりもする。
 祭りが盛んな地区は、人の横のつながりが強すぎて、地域に越してきた新参に対して意図しているわけでは無くても冷たくなってしまう。
 「コイツは曳いてないから」
 この地域の人間は、誰しも山車を曳いて大人になる。こいつは余所者だから、山車を曳いていない。山車を曳いていない以上、いくらこの土地に長く住もうとも余所者なのである、という考え方が根付いてしまっていたりするのだ。

 山車も、著名な地域のものは、まるで宮大工が拵えたかのような装飾で彩られているが、小さな山車は、それはそれはちゃちな意匠なのだ。竹に布を巻いただけの柱や、色紙を貼り付けただけの板やら。
 

 祭りによって、地域の横のつながりが保たれ、地域性の継承に役立つのは好ましい。しかし、従来のやり方がベスト。伝統の継承であるのだから、変えていく必要は無い。 そういう考え方は、果たして100%正しいのであろうか。
 すべてがすべてを伝えていく必要は、必ずしも無いと思ったりするのだがなあ。
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by maple_r | 2006-04-30 01:26 | 雑記